藤沢周平の作品と人物に触れて…その4 【啄木と賢治について】

KokusaiTourist2008-04-06


 いま、藤沢周平とその作品が“志たかく情あつい”歴史・時代作家、作品として新たな注目が集まっています。そうした作品を産み出してきた彼自身のことばを聞けば改めてそのいまの評価と注目が理解できます。いくつかを紹介します。出典は、彼のエッセイ集“ふるさとへ廻る六部は”です。

『ふるさとへ廻る六部(巡礼)は気の弱り』 山形出身の藤沢周平が初めて青森、秋田、岩手へ旅した時の気持ちを自嘲的に表現した古川柳

 …(前略)…
東北新幹線よりの小高い丘、胡四王山に建つ宮澤賢治記念館に着いた。

それは素晴らしい記念館だった。  …(中略)…
 この上はない完璧な記念館だった。展示も、洗練されて一分の隙もない構成に思われた。おそらくこの建物には、賢治の偉業に敬意と愛情をささげる人々の意志が反映されているのだろうと私は思ったが、その意志が強すぎて、かすかに権威主義が匂うような気がしたのは、私の錯覚だったろうか。
  私は反射的に、昨日見てきたばかりの啄木記念館を思い出していたのである。館長が歌い、中年のオバサンが歌を知っている短冊を見つけてはずんだ声を出すような猥雑さは、賢治記念館にはなかった。猥雑であって欲しいというのではないが、しかし… 
賢治記念館では、人々はひとりうなずいたり、ささやき合ったり、目を見交わしたりはするが、大きな声は出さなかった。行儀良く賢治の世界を分かち合い、巡礼のように館内を巡っていた。そこにはほとんど高踏的と思われる雰囲気がたちこめ、そして人々にそういう気分を強いるものがその建物いあることも明らかなように思われたのである。
…(中略)… 
啄木は愛され、賢治は尊敬されているということだろうか、と車で花巻農業高校の敷地に復元されているという羅須地人協会にむかいながら、私は思った。しかしこの考えには、わずかに違和感があった。
…(中略)… 
今度の旅では遠野に行っていない。無理に行けば行けただろうが、S氏は遠野は車で見て回るという場所ではなく、時間をかけてゆっくりと歩き回るところだという。その通りで私は遠野を見に、もう一度岩手に行かなければならないかも知れない。(「オール読物」昭和63年2月号)