藤沢周平の作品と人物に触れて…その5 【光太郎と茂吉について】

KokusaiTourist2008-04-07


 いま、藤沢周平とその作品が“志たかく情あつい”歴史・時代作家、作品として新たな注目が集まっています。そうした作品を産み出してきた彼自身のことばを聞けば改めてそのいまの評価と注目が理解できます。いくつかを紹介します。出典は、彼のエッセイ集“ふるさとへ廻る六部は”です。

『ふるさとへ廻る六部(巡礼)は気の弱り』 山形出身の藤沢周平が初めて青森、秋田、岩手へ旅した時の気持ちを自嘲的に表現した古川柳

 寒くとも1日に一度は外を歩くようにしているが、冬の散歩道には見るべきものはあまりない。
…(中略)…こういうときにふと胸にうかんで来るのが、去年の晩秋に、岩手・花巻市郊外で見た高村光太郎の山小屋でる。あの小屋に雪が降ったろうかと思う。そう思うのは詩集『典型』の冒頭に「雪白く積めり」の詩があるためか、あるいは何かで見た写真のせいかよくわからないが、いずれにしろ光太郎の山小屋と雪は切りはなせないもののように思われる。

…(中略)…

 高村光太郎は昭和20年5月に花巻の宮澤賢治の家に疎開し、8月に宮澤家も戦災で焼けたので、やがてその小屋に移ったのである。しかし、おどろくほどに粗末とみるのは昭和60年代の視点で、小屋は戦後日本のいたるところにあった当時のバラックのひとつに過ぎないのだろう。…(中略)…その小屋で詩集「白斧」をまとめ、詩「暗愚小伝」を書き、その詩を核に詩集『典型』をまとめた。

 「暗愚小伝」は、戦時中多くの戦意昂揚詩を書き、文学報国会の詩部会会長を勤めて戦争に協力した自分を見つめ直す、自己点検の詩である。自分はそもそも何者かとみずからを問いつめ、そこから崩壊したアイデンティティを回復しようとした試みの詩である。

…(中略)…

 もうひとつの雪が降る家が、私の目に映る。斎藤茂吉の聴禽書屋である。茂吉も昭和20年4月に郷里山形に疎開し、翌年1月には大石田に移って、町の名家二藤部家の離れに住むことになった。しかし、聴禽書屋と名付けたその離れは、光太郎の山小屋とは異なり、階下に二間、二階に二間がある建物だった。

…(中略)…

 大石田は雪の深い土地である。そして町のすぐそばを最上川が流れる。光太郎と同じく戦争賛美の歌をつくった茂吉は大石田で二冬を過ごし、深い雪の中で大病をわずらいながら、ここで得た歌を中心にした歌集『白き山』をまとめ、再起した。注意深く読めば、『白き山』にも低音でのべられた懺悔のひびきがある。しかしそれが光太郎の痛ましいほどの自己点検におよばないのは、両者の気質の違いだけではなく、戦争協力の認識の有無にかかわることのように思われる。(「短歌現代」昭和63年2月号)

ツァー予告

藤沢周平の世界
たそがれ清兵衛”、“武士の一分”、“蝉しぐれ” に魅せられて…


初秋の“海坂藩”と蔵王温泉磐梯高原
藤沢周平のふるさと鶴岡とその時代・歴史小説の舞台、庄内、羽黒山、米沢、会津を訪ねます

日  時 * 9月20日(土)〜22日(月)
費  用 * お一人様 約78,000円前後(未定)
           (伊丹空港発着)

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