“火の鳥 鳳凰編”
のわらび座ミュージカル
西宮北口の兵庫県立芸術文化センターに「わらび座」と「手塚治虫」がやってきたので行ってきました。
芸術文化に素人の一県民からみて、また無駄使いをと思っていた施設が、なにやらかなりレベルの高い施設としてその筋では高く評価されてるのが聞こえてきた。
そこにあのわらび座が手塚治虫の長編「火の鳥 鳳凰編」を引っ提げてやってくるという。3っつもの一流の揃い踏みを見逃せないと土曜日の夜の公演を楽しんだ。
2時間ぶっとうし長さをかんじさせない迫力ある公演でした。
ストーリーは、若い頃に読んだ、漫画火の鳥の鳳凰編の微かな記憶とは違ったようにも感じたが、手塚漫画の難しいテーマを舞台でどう演じられるのか興味深々でした。
永遠の生命と権力を欲する支配者の奢りとその犠牲となり虫けらの如く軽視される庶民の命と暮らし。しかし命は太古の昔から未来に連綿と引き継がれ、それだからこそ一つ一つの命こそが大事にされないとならない。人はいろんな経過をたどりながらもそれらのことを理解し始める。さすがと言うべきか、わらび座ならではの舞台で漫画火の鳥のテーマは十二分に表現されていた。
これだけのテーマを迫力ある舞台で演出し演じるわらび座と関係者の皆さんのプロの仕事に頭が下がる。終わってパンフを見て驚いたのは、主演のガオウ役の役者は韓国の人でした。
わらび座との出会いは40年もの昔、日本各地に派遣されていた文工隊を大学でみたのが初めでこんどはそれ以来ということになる。その間、秋田県を中心に着々と実力と地名度を高め、修学旅行ならわらび座へとなり、秋田県を代表する演劇団・施設となり、昨年には松山に坊ちゃん劇場を開設するまでになった。そしてこの度は兵庫県のトップともいえる劇場公演。まさに隔世の感である。
民族芸能の伝承をうたうわらび座の主演を外国人が演ずるの座の新たな発展の方向てあり、発展の証しでもあろうか。今、命と暮らしがあまりに軽んじられ、人間と社会の新しい価値への転換が求められている。火の鳥の公演はまさに時宜にかなったものであり、わらび座のますますの活躍が期待される。(T.MATSUOKA)