映画“おくりびと”をみて

KokusaiTourist2008-12-27

“やすらかな旅立ちのお手伝い”
 「旅のお手伝い」と書けば、私たちの仕事になります。「旅立ちのお手伝い」となると、オヤッ?
でもかつて“いい日旅立ち”という歌もあったし、旅行会社のコマーシャルにもたしかあったから、間違わないでしょう。でも、この旅に“やすらかな”と修飾語がつけば、もう誰もそれが旅行会社のものとは思わないでしょう。
 でもそれがなかったばかりに、間違って?納棺会社の社員募集にのこのこ?出かけた人物。そして社長からあの広告は誤植だとあっさり言われ、高給を提示され、引くに引けず妻にも内緒で入社してしまったのが主人公本木雅弘です。

 おくりびと」をようやく見てきました。社長役はあの“お葬式”“マルサの女”などで存在感抜群の山崎努。妻には広末涼子。舞台は子供の頃からの夢だったオーケストラの楽団が解散を告げられた東京から一転、雪の山形へ…
 父は音楽へのこだわりをもって喫茶店を母とともに営んでいたが、家族と店を捨て別の女性と一緒になり20年以上も音信不通。母もすでに亡く、店だけが残った生まれ故郷に帰ってきて始めた仕事が納棺師。幼い時に父から厳しく教え込まれ職業としてチェリストにまでなったものの…その幼き時代を過ごした店に妻と始めた新生活。だが、家族を捨てた父への怒りは消えない。納棺の仕事をしてることが旧友にも知られ愛想をつかされ、やがて妻の知るところとなり、辞めて欲しいと妻は哀願し実家に帰ってしまう。
 
  主人公はそんな苦悩の日々を送り、ミスで遺族からも罵声を浴びながら、社長や「過去」のある事務員のもとで納棺の技術というより、人生とその終焉、家族、仕事とはなどの教えを受けながら成長。生きとしいけるもの、またどんな人生を送った者にも、必ず終わりがくる。その時にもっとも美しく尊厳をもって送りだす仕事…と思うようになる。
 単なる葬儀の一場面でなく、納棺の一つ一つの所作、言葉に心を込めて生きてきたことへの尊厳を作り上げ遺族や社会に生と死の意味を改めて感動をもって考えていただく機会を提供する。そうした納棺の儀式を目の当たりにした遺族には、確かに悲しみはさらに大きなものにはなるが、同時にあらゆるものへの感謝と優しい気持ちを生み出さずにおかない。


 「今日のうちのかあちゃんはこれまでで1番綺麗かった…」と妻を亡くした悲しみから八つ当たり気味に荒れていた男性が納棺の後に本木に頭を下げる。やがて、妻も夫の仕事を理解し始めていた。そんな時、父が死んだとの報せが舞い込み、妻や社長、事務員の誰もが行ってやれと言うが本人は拒絶。それでも事務員自らの過去の話しを聞かされ、無責任な親だと叫びながらも妻とともに「引き取り」に向かう。
 そこで見たのは、死者をモノのように扱う事務的な「納棺」。胸中に怒りを煮えたぎらせ、「私にやらせて下さい」と主人公。「私の主人は納棺士です」と誇らしげに言う妻。映画“おくりびと”のテーマの真骨頂の場面。
 幼い頃通った銭湯のおかみ?(懐かしい…吉行和子)で「もっとましな仕事しろ」と言ってた旧友の母が急逝し、本木が納棺を荘厳に執り行い、最後にいつもおかみがしていた手ぬぐいを身につけさせる。涙と驚きの目で見守る旧友。彼は、焼き場にきて裏側のボイラー室に入れて貰い小窓から別れを告げる。
 
ボイラーのスイッチの管理をしている老人は銭湯の常連。おかみと心通じていたのか、どうしてもと言われ初めて二人でクリスマスを祝ったばかりやと、息子に告げる。そして老人もホントに最期の別れを小窓から“おかみ”にいう。
 よく一緒に風呂に入ってはいたが老人が何をしてるかは知らずにいた主人公は老人と目を合わせ、「ここにいらしたんですか…」。黙って頷く老人。
ここにも“おくりびと”が…
 久しぶりの映画、話題作として一時評判に。ようやくみる機会ができ満足感十分。出来ることなら昨年にも公開されていたら…母をみ送った時、湯潅の儀式には、最後だけ立ち会って、ほとんどは別室にいてよう見なかった。
 こういうテーマを映画にとの発案は主演の本木だという。滝田監督もよくまとめ上げたと思う。日本映画健全なり!。
(写真はおくりびとのホムページより)(T.MATSUOKA)