韓国人の心のなかに

KokusaiTourist2009-12-15


生きた日本人   韓国併合100年」に向けて…

浅川巧のルーツを訪ねてその3


【29日(日)】
 ソウルの日の出は遅い。
この季節京都なら7時前には明るくなるが、7時半回っても暗い。
今日は、浅川が窯を焼いていた跡地、忠清南道鶏龍山(ケリョンサン)
へ。車(高速)で片道2時間半。途中1回のトイレ休憩のドライブインは日本のそれと比べてほとんどのスペースを食堂が占めている。見ると巻き寿司や日本風うどんもある、韓国の米は東南アジア(例えばベトナム)に比べて日本のそれと味近く、私は金さんに「帰りの昼食はここに」とリクエスト。
 さて、窯跡が見つからない。近所の人に聞きながらたどり着くも、そこは確かに窯跡があったような段々の丘と碑文がポツンとあるのみ。これゃ〜2時間半も高速を飛ばしてくる価値には乏しい。
そんな感想をもらしつつ、せっかくここまできたのだからと地図を広げて、近くに陶芸村を見つけた。何とここが良い。村の入り口の説明に何と初めて日本語(漢字)表記。10数棟は体験、見学、販売棟があり、この日は日曜日で1棟でロクロを廻している職人さんがいた。
目利き出来るF氏は「これゃ良い物が多いし、安い。次回のツアーはここでの買い物が良い」と。下見ツアーの醍醐味。良い所を見つけた。
 帰路先ほどのドライブインへ。ところが当然ながら往路の向かいの別のドライブイン。さきほどの巻き寿司がない。それでも日本風うどんは全く関西風、美味かった。
 ソウルに戻り、国立中央博物館へ。
それはそれは規模、外装、内装特に全て大理石には驚かされる。建物は群をなし、植物園、野外展示場だけでなく劇場やショッピング街も連なっている。そこで我々は白磁の数々を見学。(ここを先に見て、鶏龍山に行けばその良さが一層理解出来ると思った。月曜休館)
 今宵の夕食は海鮮鍋。切られても纏わりつく蛸の刺身が美味い。
その後、ソウルの代表的ホテルのロッテホテル地下で磁器のお店(「陶遊」)を開いているオーナー・鄭好連さん(女性)を訪ねた。鄭さんは山梨県高根町の「浅川資料館」にも資料を寄贈されていて、F氏によると、日本の陶磁器雑誌に広告などでよく目にすると。鄭さんによると、「韓国陶芸界の巨匠で人間文化財の池順鐸(チスンテク)氏=浅川伯教の通訳兼案内人として窯跡調査に同行し、陶芸の道に進んだ。池先生は『私の今日あるのは、浅川伯教先生のおかげです』。その池先生の教えで今この店をやっています」と。店内には細川護煕元首相との写真も飾られていた。
(H.TOMITA)