韓国人の心のなかに

KokusaiTourist2009-12-16


生きた日本人   韓国併合100年」に向けて…

浅川巧のルーツを訪ねてその4


【30日(月)】
 少し朝ゆっくりでホテル発。
景福宮へ。(朝鮮王朝第一の法宮)観光スポットなのでたくさんの人(外国人の大半は日本人〜韓流ブームまだ衰えず)その広大な敷地の続きに朝鮮民族美術館(現在は国立民俗博物館。この建設にも浅川兄弟が尽力した。過去から現代への浅川兄弟の業績が偲ばれる。
館を出て、洒落た街並みが続く。磁器の店ではF氏がこの2日間の知己を生かして買い物。特に池順鐸の名前を出すと「良く知っている日本人だなア」
昼食は韓国風うどん。餃子が美味い。食べながら見つけたのはお玉。日本では全体が丸っこいが、ここでは左半分がギザギザになっていて右手使うとその部分でうどんを上手くすくえ、具やスープと一緒に椀に入れられる優れもの。私はさっそく金さんに「あれが土産に欲しい」(名前はクッチャン
 昼食後は自由散策でF氏は買い物。私は金さんとティータイム。
先ほどの館で買った「こんにちはキムチ」日本語本の事。つまり今回ツアーの主題は浅川巧だが、もう一人韓国農業の父でキムチの基盤を築いた・兎長春の下調べもあったことなどを話す。金さん「キムチツアーは面白い」。
その後、目の前のパコダ公園へ。3・1独立運動の集会が行われた場所。今では老人の憩いの場と言うか、貧しい老人のたまり場で、日本人と見るや非難の言葉を浴びせる場所なので最近は平和ツアーでも敬遠している。
 夕方便までかなりゆっくり。次回はもう1時間ばかり復路便を早めても良い。
仁川空港近くの大型ショッピング店でまとめて買い物。ここの超高層マンションは空港関係者の住まいだとか。
金さんは「自分と会社も『浅川巧』の事初めて知った。勉強になった。」と、我々二人に心温まるお土産を手渡した。
朝鮮人になりきって植林を朝鮮の国土に広め、朝鮮磁器を初めて日本に紹介した浅川巧
「併合」などいう忌まわしい歴史と単語をも超越する業績と二国間の人々の交流
浅川兄弟の存在と意味合いは2010年にも脈々と生き続けると思う。カムサ ハムニダ。
(H.TOMITA)