阪神淡路大震災

KokusaiTourist2010-01-17

15年が経ちました。

 阪神淡路大震災から15年がたちました。偶然!生きながらえた私たちの責任は、地震国日本がほんとうに‘人間’を大切にする「災害対策」を実行させるため、この体験を語り伝えることです。
 時偶然にも、ハイチで神戸を上回る規模の地震が起き、テレビは連日悲惨な映像を流し続けていますが、始めてカメラが入った日の映像と変わらない現状に、いら立ちを覚えます。「科学技術万能」といわれる時代にどうして救援が遅々としてすすまないのでしょうか… 「戦場」への軍隊増派と軍事費増大には糸目をつけない経済大国が、人道の立場で本気に救援態勢をとれば…と思うばかりです。特に地震大国・経済大国日本は、世界に先駆けていま!直ちに!なすべきことはあるはずです
 今日の節目の日に、ハイチの悲劇を‘目の当たり’にした私たちも、15年前を思い出し一刻も早い救出、救援、事態の改善に全世界が一致して対処してと声を大にせずにはおれません。それにしても新政権の動きはあまりに緩慢に過ぎます。
 国際ツーリストビューローは、95年の壊滅的な打撃を乗りこえ、3年前創業50周年を迎えました。その試練の中で、被災者の立場、共同と連帯の大切さ、仕事の原点、企業の社会的役割を学びました。
 その経験を一大画期として、昨年4月に組織運営の形態を株式会社から労働者協同組合に旅行業界として初めて移行させました。
 移行後初めての1・17を、これまでの犠牲者追悼と被災地復興、ハイチの大災害の救援に思いを馳せながら、厳粛にそして謙虚な気持ちで迎えています。



節目の日 涙の中に 怒り沸く テレビ伝える ハイチの悲劇


体験を なぜに活かさぬ ハイチ救援 新政権に いら立ち沸騰


ベッドの上 揺れを凌いだ 数分間 階下の惨状 昨日のごとし


走馬燈 巣立ち‘旅立ち’いま二人 思い走らす 今朝のそのとき


生きるため 見知らぬ心も 通わせて よくも堪えたり 被災の各地


15年経ち 薄らぐ優しさ 反転し 手応えふくらむ 連帯の声


支えられ 守り通せた 我が職場 学んだ仕事 社会に返そう


半世紀超ゆ 職場のあゆみ 震災が 画期となりて 労協に深化す
(2010年1月17日詠む T.MATSUOKA)