佐村河内守さんのコンサート記事

しんぶん赤旗の16日付け潮流の記事を転載します
広島・長崎を題材に曲をつくる。人類史上もっとも悲惨なできごとに、作曲家はどう向き合うのでしょう▼広島生まれの細川俊夫さんは、大作「ヒロシマ・声なき声」を01年に完成させました。12年かかっています。林光さんは、「原爆小景」を01年の完結まで、なんと43年間も書き継ぎました▼佐村河内(さむらごうち)守さんの「交響曲第1番“HIROSHIMA”」は、着想から23年をへて生まれました。17歳で書き始めた佐村河内さんを、病が襲います。激しい耳鳴り音が四六時中とどろき、肉体と精神を破壊しつくす頭鳴症。ついには聴覚を全(すべ)て失う難聴▼やがて、耳鳴りの音が原爆の音に、苦しみから救われたい思いが平和への祈りに重なってゆきます。03年、曲は完成しました。佐村河内さんの被爆2世としての使命感が、障害に打ち勝ったようです▼14日、初の1時間20分全曲通しの演奏会が、京都市でありました。核兵器のない世界を子どもたちに手渡したい、と願う市民の催しです。秋山和慶さん指揮の京都市交響楽団。世界を闇に一変させるような音の一撃や地響きたてる轟音(ごうおん)を交えながら、どこか懐かしい旋律が浮かんでは消え、深い祈りに包まれてゆく…▼終楽章。頂点へとのぼりつめる管弦楽の強奏とともに、鐘が打ち鳴らされる。とむらいながら、新しい夜明けを告げるような鐘の音。そうだ、広島を、人類の、破滅の始まりではなく新しい夜明けの始まりの地にしなければならないのだ。高ぶる気持ちのまま、会場を後にしました。