「文化の多様性失う危機」 国際ペンが閉幕

KokusaiTourist2010-10-05

2010年10月5日11時8分asahi.com.
竹太鼓を演奏する鹿児島県立奄美高校の郷土芸能部員たち=東京都新宿区、遠藤啓生撮影
 イデオロギーに寄り添う時代が終わり、いま何を書くべきか。過去最多の86カ国・地域から作家たちが参加し、1日に幕を閉じた国際ペン東京大会。定義があいまいな「環境と文学」というテーマを通じて、複雑化する現代に生きる人間のあり方が問われた。
 「最初は何を書いたらいいか、戸惑った」
 日本ペンクラブ阿刀田高会長は、「環境」を描く文学として書き下ろした小説『闇彦』の朗読会でそう打ち明けた。その戸惑いは、一般の来場者と通じるものではなかったか。「環境」と言えば地球温暖化や自然保護をすぐに連想する。だが大会ではより幅広い定義がされたからだ。
 阿刀田さんは「地球温暖化を書くことは、私にはできない」とし、こう考えた。「自分の築いてきた文学を描くことが『環境』につながる」。描いたのは、神話の世界から語られる人間の「死」。死は、人間にとって最大の自然と解釈したからだ。
 冷戦構造が背景にあった1957年、「東西文学の相互影響」をテーマに選ぶなど、国際ペンの大会は時代性を敏感に反映してきた。各国の利害関係が複雑に絡み合う時代に開かれた今大会は、人類共通の課題として「環境」をテーマに掲げた。200人を超す海外作家らが参加し、日本ペンクラブ下重暁子副会長は「環境はあらゆるものを含む」とまで踏み込んだ。
 分かりにくさを抱えながらも、作家たちは文学を取り巻く「環境」に迫ろうとした。
 最も一般的な環境の解釈は、大会の基調公演として上演した故・井上ひさしさんの群読劇「水の手紙」だった。世界中の水質汚染を描き、「生き物は水のかたまり、そして世界の水はつながっている」と俳優が呼びかけた。
 「社会制度」も環境になった。大会で朗読された莫言さんの「牛」は、中国の人々が文化大革命に翻弄(ほんろう)される様子を描いた。莫言さんは「私たちはこの時期、基本的に自由はなく、従って文学はなかった」とのコメントを寄せた。