政府・東電の無責任体制のルーツは50年前にあった

毎日新聞コラム“風知草”から
 原発震災の賠償は東京電力の責任か、政府の責任か。「東電に決まっているが、政府としても東電のお手伝いはします」というのが、今週から国会で審議が始まる原子力損害賠償支援機構法案である。成立の見通しは立っていない。
 この法案の頼りない存在感と前途多難は、原発推進脱原発の波間をただよう日本の不安を象徴している。
 原発推進か、脱原発か。推進なら、もはや国営しか引き合わないことが明白だが、国の方針がはっきりしない。法案は、国が電力会社を「援助」するという微妙な言い回しだ。東電を生かさず殺さず、国がカネを出すとも出さぬとも読める、急場しのぎの玉虫色。それが支援機構法案の特徴だ。
 法案の作成に先立って閣僚間にバトルがあった。与謝野馨経済財政担当相(72)と枝野幸男官房長官(47)である。
 既にある原子力損害賠償法の3条は、電力会社に事故の賠償責任を負わせる一方、「異常に巨大な天災地変」は例外として免責と定めている。
 「今回は当然、免責だ」と与謝野が言い、枝野が「法改正しない限り、そういう解釈は無理です」と反対した。
 与謝野は日本の原子力政策のパイオニア中曽根康弘元首相の愛弟子だ。大学卒業後、中曽根の勧めで創立間もない「日本原子力発電」に入り、保険を担当した。枝野は弁護士。玄人同士のケンカである。
 結局、枝野が押し切った。そうなると、債務超過必至の東電は新たな資金調達ができず、電力の安定供給が揺らぐ。そこで支援機構法案をひねり出したという流れだ。
 矛を収めた理由を与謝野に聞くと、こう答えた。
 「国は被災者の補償はしないから、東電を免責すると賠償の主体がなくなっちゃう。財務省にそう言われてね」
 バトルの根は深い。調べてみると、次のような経緯が分かった。1958年、原子力の平和利用へアクセルを踏んだ岸内閣は、高名な民法学者・我妻栄をトップとする専門家チームを設け、原子力災害の損害賠償について助言を求めた。
 先進国事情を調べた専門家チームは「万一の場合は国家補償が必要」と答申したが、それを踏まえた原子力損害賠償法(61年施行)の立法過程で国家補償は骨抜きにされた。
 それは大蔵省(現財務省)の意向だったと、法案作成にかかわった通商産業省(現経済産業省)の課長が、法律雑誌「ジュリスト」(61年10月15日号)の座談会で暴露している。「明治以来、被害者の直接賠償責任を国が負ったことはない」と財政当局が押し切った。
 座談会の中で、裏話を知った司会の我妻が嘆いている。「事業者も責任がないから国家にも責任がない、そして災害救助でやる、伊勢湾台風と同じに取り扱うという。非常に残念で、こうなるのだったら、もっと考えておくべきだったという気持ちもするのです……」
 原発震災をめぐる政府・東電の無責任体制のルーツは50年前にあった。当時は原発の構想段階だったが、いまや原発依存社会だ。それなのに無責任体制は続き、その延長線上に支援機構法案の漂流がある。
 首相の「辞任3条件」は補正予算、特例公債法案、再生可能エネルギー法案の成立だ。支援機構法案は入ってない。問題意識が感じられない。首相の感覚を私は疑う。