ドクター安達の海外旅行記パート9 

KokusaiTourist2011-10-12

ドイツ中南部7都市を巡るドイツ環境視察ツァーその2
その1http://d.hatena.ne.jp/KokusaiTourist/20111011

 ハイデルベルグへ向かう
 8:50バスで出発、運転手はゲーテと同じ名前のヴォルフガングさん、ツアーを通じて運転してくれる方だ。通訳・案内人の長谷川さんはミュンヘン在住で、昨日フランクフルトにやって来たそうだ。車中、長谷川さんから、ハイデルベルグに到着するまで、ドイツと今から向かうハイデルベルグについて詳細な解説がある。1時間20分の道中ほとんど喋りっぱなしだった。以下は長谷川さんの解説。
 『フランクフルトは人口68万人、ドイツで8〜9番目に大きい都市。フランクフルト空港は、ヨーロッパでイギリスのヒースロー空港についで、第2番目の空港。
20年前からリサイクルの運動があり、32通りの分別回収をする。ごみ焼却のエネルギーは、発電と地下1mのところに配管した水道管で各家庭への温水供給に利用されている。
 ハイデルベルグは、標高100mくらいのところにあり、ドイツでもっとも暖かい町。暖かいところはワインがよい。北部は海抜3m程度。日本の大震災の映像は1カ月間毎日のように放送されたが、その後ほとんどなくなった。
 1989年10月3日は東西ドイツ統合記念日。1300〜1500年代は神聖ローマ帝国の時代、カソリックの社会で、ここの大聖堂でずっと戴冠式を行っていた。マリア・テレサもここで戴冠式を行った。
 ドイツの労働基準法について労働組合が強い。各企業ごとに組合があるのではなく、産業別労働組合に組織されている。労働時間は、民間38.5時間、国および地方公務員は40時間と決められている。
土日は完全休業で金曜日は半日のことが多い。残業ほとんどなし、だから企業経営者は大変。
 ドイツの保険制度。月収が6万5千円〜40万円の人は、5つの公的保険に加入義務がある。医療、失業、介護、老齢年金、労災。1883年公的医療保険の導入、給与の14.5%を労使が折半。私なんか一人企業だから14.5%払わなければいけません。1884年労災保険、企業のみ負担。1889年老齢年金、19.5%を労使折半。1927年失業保険、6.5%を労使折半。1995年介護保険、1.9%を労使折半。その他、消費税が19%。
 ドイツの人口は8200万。東欧、南欧から出稼ぎ労働者が800万人ほどいる。外国人労働者はトルコが一番多く240万人(ベルリンに40万人)、フランクフルトは人口68万人だが、外国人労動者が非常に多いところ。以前は、黒人をほとんど見かけることはなかったが、最近、リビアチュニジアからの逃亡移民が増えている。
 1933年9月23日、アウトバーン(郊外高速道路)ができた。無料で最低速度は60km、最大速度は決まっていない。何かがあるときに最高速度が制限され表示される。だから、130km、140kmはざら。
みなさん、ドイツは何カ国の国と国境を接していると思いますか? 北西から、デンマーク、オランダ、ベルギー、ルクセンブルグ、フランス、スイス、オーストリアチェコスロバキアポーランドの9カ国。9か国の国に囲まれているからドイツ人の性格も特徴がある。自分を主張しないとだめ。「ごめんね」とすぐ日本人は謝るが、ドイツ人は「あんたが悪い」と他人のせいにする(これはフランス人の方がもっとすごい)。
ライン川は1320km、スイスからオランダへたくさんの国を通って流れ込む。河川汚染問題は国際問題となる。旧共産圏での河川の汚染が深刻だった。河川協定ができた。
この地方はドイツで一番暖かいところ。さて、何が取れるでしょう? 春はアスパラガスがおいしい。タバコ、いも、ぶどう(ワイン)、ホップ(ビール)が獲れる。旧共産圏からの出稼ぎ労賃は1/4ととても安い。収穫期にこれらの労働者を雇う。
ワインではフランケンワインが有名。ドイツには11のぶどう畑がある。フライブルグもワインが有名。
ここザールランド州は緑の党の発祥の地ザールブリュッケンで1980年代に結成された。
その当時から原発反対のスローガンは掲げられていた。
 高速道路(アウトバーン)は、営業用は有料、一般は無料。外国人も無料。今一番古いアウトバーンを走っている。高速道路は25cm厚のコンクリート、空港の滑走路は50m厚のコンクリートと決められている。
  ハイデルベルグは人口14.8万人。1386年にハイデルベルグ大学ができた。1356年のチェコプラハ大学、○○年のウイーン大学に次いで3番目に古い大学。
フランスはドイツで統一国家を作らせないために、自分はカソリックなのにプロテスタントを支援した。ドイツ北部はプロテスタント、南部はカソリックが多い。カソリックプロテスタントだいたい半々。
ドイツは第2次世界大戦では東西南北から攻撃を受け都市を破壊された。しかし、ハイデルベルグは被災を受けなかった。ここに戦後米軍基地がおかれた。
ハイデルベルグは大学の町。超エリートが学ぶ。ドイツに私大はなく、すべて授業料は無料。25%が大学へいくが、卒業できるのは12%。約半分の学生が卒業できない。50%が職業学校へ行ってマイスターを取る。マイスター資格がないと物を作って売ることができない。
ハイデルベルグはお城の町。ドイツで一番暑いところでワインがおいしい。ドイツは16州からなり、北緯48度から樺太の真ん中あたり、東西650km、南北1100km、今年は特に暑い年。暖かいが年中曇っている。霞がかかることが多い。地震、台風はない』、などなど。
ハイデルベルグ城を見学
10:10到着。まずはハイデルベルグ城見学でロープウエイに乗る。高台にある城から町を見下ろす景色はすばらしい。そして名物という大きなワインの樽を見る。
昼食はソーセ−ジ
降りてくると広場で収穫祭をしていた。屋外テーブルに座り昼食はソーセージを食べる。かわいいウエイトレスと記念のツーショットも忘れない。
午後はハイデルベルグ大学内を散策
昼食後、ハイデルベルグ大学周辺を歩き学生牢を見学。
陽が照って来て暖かくなり、河原を見てみると白い蝶が飛んでいる。急いで降りて行ったが、蝶はどこかに行ってしまってネットには入らず。ビキニで日光浴をしている若い女の子がいた。長谷川さんは、地域によっては水着も着けずに日光浴をしているところもある、と言っていた。

14:10マイン川に沿ってローテンブルグへ 車中は昼寝。
 16:10ローテンブルグのシュランネー・ホテル着。荷物を置いてすぐ蝶を探しに城壁の外へ。花壇があり、白い蝶が飛んでいた。なんとかネットイン、採ってみるとモンシロチョウの1種だった。
 17:00から城壁内の旧市街見物に。市庁舎の横の居酒屋に仕掛け時計があり、夜の21時に鳴るとのこと。いろいろ歩き回って18:15ホテル着。
夕食はビーフシチュー 
18:30夕食はホテルでビーフシチュー。
 20:20参加者のKさんの部屋で1時間ほど交流会を持つ。各人がそれぞれ簡単に参加の経緯を述べて自己紹介。
 21:00解散、部屋に戻り、風呂に入って寝るが、夜中たびたび目が覚めてしまった。