地球へ途中下車第28回

素敵な熟年ご夫婦の1年間世界旅行の記録

前回までhttp://d.hatena.ne.jp/KokusaiTourist/20130427

今日もロシアを巡り、その後ベルリンを経てポーランドに向かいます。そして旅の準備編も1つ。


2011年09月08日(木) 01時46分42秒
ロシア
【モスクワより愛をこめて】
ジー島から今度はモスクワへ、12時間かけて移動。またまた2等寝台です。
この夜、2人でウオッカをほとんど開けてしまいました!(このウオッカ、雑味がなくて、悪酔いせず、ホントにおいしいんですもん!)

…翌朝、4人部屋の2人のロシアの若者に「夕べはよく寝られた?」と聞いたら
「う、う〜ん〜」と微妙な返事…
…もしかして、もしかして、ジャパーニーのいびき(夫)と、寝言(妻)、うるさかったんじゃあ あ あ ????
モスクワです…
聖ワシリー教会

でもサンクトの血の上の救世教会を先に見て、あっちのほうが細かい細工が全部モザイクだったのに比べて、大きなつくりなのでなんとなくディズニーランドっぽく、見えてしまいました…。こちらのほうが圧倒的に歴史が古いんですが。
赤のひろばは工事中。

クレムリンはカメラ禁止と思って、荷物預けにカメラも預けたのに、なかではみんな撮ってるじゃないかっ!

ところでモスクワで泊ったホテルにはなんと!
バスタブです!(ロシアは外国人旅行者はユースホステルは利用できない…)
2か月ぶりの浴槽…
ゆっくり浸りました…
…夜中にふくらはぎがけいれん起こし、こむら返りで目が覚めました。
翌朝も足に身がいって痛たたた…
日本を出て2か月。どんなに歩いて足がぱんぱんになった夜もずーっと立ちんぼうでシャワーでした…
慣れないことすると、あかんのか?
夜、ホテルの窓から夕日を眺めていると…

ん? あの建物は、なに?

えっ、ロケット?

そしてこのホテルの名前はコスモス…。これは、何かある!きっとある!
…というわけで翌日、見えた方向に行ってみました。
なんと、宇宙飛行士博物館がありました!
1961年、世界ではじめて宇宙飛行をしたガガーリンから

女性初の宇宙飛行士テレシコワ…(なつかしいです)

実際に宇宙へ行った宇宙船や宇宙服(これで本当?にと思う装備…)

(はじめて宇宙へ行った犬は、はく製になっていた…)、現在のNASAと共同の宇宙開発プロジェクトまで、じゅぶん見ごたえのある博物館でした!
特に我々は1969年にアポロが月面着陸した瞬間をテレビで見ていた世代だし、60〜70年代の米ソの宇宙開発競争、1970年の大阪の万博で
アメリカ館が月の石なら、ソ連館は宇宙船と、人類が遠くへ遠くへと宇宙をめざしていた時代をオンタイムで知っている「20世紀少年」世代なので、もう感激でした!
時代を感じさせる夢と冒険のスペースオペラの世界をお楽しみください。


でも、博物館の表にあった注意書き…

…馬に自転車にソリにスキーって、ここでソリやスキーって、するか?

……
=====
モスクワの空港で、ロシアの航空機が墜落したニュースをネットで知りました。アエロフロートがベルリンに無事に到着したとき、機内から拍手が起こりました…。
無事、ベルリン到着しました!







2011年09月08日(木) 18時05分06秒
ロシア
レーニンはどこに?】
モスクワの赤の広場レーニン像が撤去された話は有名ですが…
ロシアのまちには、あちこちに、それこそ各地方都市、各広場ことに、レーニン像はそこいらじゅうにありました。
ぺテルザボーツクのレーニン
レーニン通り、と通りの名前にもなっています。




モスクワ駅のレーニン
レーニンの下で待ち合わせ、って感じでしょうか? ハチ公前みたいな…
ロシアの若者と話をすると、レーニン? 教科書に載っている歴史上の人物、という印象で、ソビエト連邦のことも「生まれていなかったから知らない…」って、そりゃそうですよね! 「明治維新についてどう思うか?」とか、坂本竜馬のことを外国人から尋ねられても…って感じの対応でした。
でもロシアの若者たちは、これからのロシアの未来に希望を感じていることだけはたしかな様子でした。

こちらはぺテルザボーツクで見つけたカールマルクス像。
となりに座っているのは…
φの字は「kaφe」が「カフェ」だからフェ、F。
「 はG…。
…おーお、フリードリッヒ・エンゲルスですね!
ところで、赤のひろばの「レーニン廟」に、レーニンの遺体は冷凍保存(?)されて一般に公開されています…。特別に厳重な警戒で、荷物、カメラ、ビデオの持ち込み一切禁止、日も時間も人数も制限されていましたが、花を持って訪れる人が世界各国から長蛇の列をつくっています。
まるでいまでも生きているかのように、見えました…。


2011年09月10日(土) 06時58分37秒
ドイツ
ベルリンの壁
ドイツはまたあとでゆっくり回るのですが、ベルリンの壁を見に、ロシアからアエロフロートで移動しました。

東西ドイツを隔てていたベルリンの壁は1989年に取り払われ、戦後、引き裂かれていたドイツは統一するのですが、一部が残されており、いまはイーストサイドギャラリーという名前で定期的に絵が変わるギャラリーになっていました…。
この壁、思いの他、低いのです。越えられそうで越えられない。それだけに余計に辛い感じがします。
無理をしてなんとか超えることができても、向こう側にもう一つの壁、2重になっていて、真ん中の緩衝地帯に銃を持った警備員が見張りをしていたのです。たくさんの人がここで命を落としたそうです。

1989年に壁が取り払われてから、もうすでに、22年が経ちました…
ベルリンには博物館島という世界遺産もあります。
ベルガモント博物館が有名です。


ベルリン名物カリーブルストを発見!

ソーセージにカレーパウダーと独自のケチャップをかけただけのシンプルなファーストフードですが、ケチャップが独特でなかなかおいしい。軽い昼食にぴったりです。
翌日、ポーランドクラクフに向けて、列車で移動しました。
クラクフアウシュビッツ(現地名はオシフィエンチム)にアクセスするのに近いまちなのです…。
世界一周旅行のなかで、積極的に行きたいというわけではないけれど、「行かないといけない場所」というものがあるなと思っています…。ベルリンの壁アウシュビッツもその一つでした。
列車の窓から草原の景色を眺めていたら、『エリカ』という絵本のことを思い出しました…。

ナチスに捕えられてアウシュビッツに搬送される列車、明かりとりの高窓しかないすし詰めの列車の、その高い窓からお母さんが1歳になるかならないかのわが子を草原に放り投げるお話です。
このまま自分がこの子を胸に抱いていたら、自分と一緒に確実に子どもは死ぬ運命になる…。それよりは百分の1でも千分の1でも、子どもが生き延びられる可能性にかけよう、お母さんは列車のなかの人たちと協力して、列車が川のそばで大きくカーブし、スピードを落としたそのときに、高い窓から子どもを外の世界に、未来に託します。死に向かう列車のなかから、それは一筋の希望でした…
毛布に大事にくるまれて、放り投げられた子は、子どもはポーランドの親切な夫婦に拾われて、生き延び、きっと、エリカの花が咲くころに生まれたのだろうと、エリカという名前をつけてもらって、成長するという実話です。
そういえば、クロクフはポーランドのなかでは戦争の犠牲にならなかった唯一の都市だそうで、中世の建物がそのまま残っているといいます。線路沿いにも、本当に古いレンガ造りの建物や鉄道建築が残されていました。
気持ちが重いけど…明日かあさって、アウシュビッツに行くことにします。

2011年09月10日(土) 16時09分54秒ポーランド
ポーランドの夜は暗い】
ベルリン発の列車は1時間遅れでポーランドクラクフに夜の9時すぎに到着しました。
まちも街灯があまりなく暗く、ユースホステルも古いアパートメントで暗く、ミックスドミトリーの部屋は歩くとギシギシ、音がします!
2段ベットも寝返りをうつとギシギシ音がします…

戦禍を免れたまちなので、ほんとうに古い建物が残っている…とい感じです…

2011年06月21日(火) 08時05分55秒
旅の準備編
【1年間、仏壇をどうする?】
……
中高年夫婦のブログならでは! 
…なテーマです…。いきなりですが今回は。
σ(^_^;)
世界一周旅行の間の一年間、住民票どうする? 国保どうする? 車どうする? 留守宅の守りをどうする? …と、いろいろな「留守中、どうする?」という話題がありますが、なかでもよそではあまり見かけたことがない!テーマです。世界一周に挑む中高年ならでは!なテーマです。…しかし当事者本人にとってはけっこう深刻な課題なんです…
留守の間、家のお仏壇は、どうしておいたらいいの?
……
その前に──。
我が家にはお仏壇があります。
…夫は長男で、父はすでに他界していますが、母が健在で妹サンと同居しているので今のところみてもらっています。
…妻は、決して跡取り娘とかではないのですが、母が亡き父の仏壇を連れて我が家へやって来て、しばらくそこで暮し、そこで最期を看取ったので、父母2人の位牌が我が家にあるという訳です。
…正直なところ、妻は若い頃は「仏壇がある家」を、感覚的に拒否していました。はっきり言ってイヤでした。自分が望ましいと思うお部屋のインテリアにはそぐわないと感じていました。それがこんなにもあっさり、すんなり、と家に仏壇があることを受け入れられるようになるとは思ってもみませんでした。…それほど、一緒に暮していた家族がいなくなるという喪失感は大きく、家のなかに確かに居た人が居なくなって、ぽっかりと空いてしまった空間を埋めてくれたものが、遺影と花を飾った仏壇だったということなのです。今では、そのお陰で守ってもらっている、という感覚です。
お寺様とは、先輩のみなさんのようなマメなおつきあいはようさせてもらっていないのですが、年に4回、お正月とお盆と、2人の祥月命日の月にだけ、お参りに来ていただいております。
…とまあ、前置きはさておき、一年間、世界一周旅行をするにあたって、その間、仏壇をどうしたらよいものか…誰に聞いてもわからない。名前を聞いてもわからない、おうちを聞いてもわからない…。
直接、お寺さんに聞くしかない!
おそるおそる…
「はい、はい。その間の一年間、過去帳とお位牌をお寺のほうでお預かりしておきましょう。扉を閉めて行ってください。こちらでお勤めをしておきますから、ご旅行、どうぞ楽しんでいらしてください」
と言ってくださいました!
なんと理解と包容力のあるお寺様でしょう!
本当に助かりました!
(もちろん、1年間のお参りにあたるぶんの御礼は包んでおきました!)
感謝、感謝、です!
ありがとうございます!世界じゅう、どこにいても必ず毎日、手を合わすことにしますよってに、どうかこんな不届きな我々をお許しください! そして誠に、誠に、あつかましいお願いですが、どうか私たちを1年間、お守りください!
(↑どこまでもあつかましいぞ!)