「ミャンマーの黎明―ミャンマーの政治経済情勢―」

くらし学際研究所2013年5月 月例公開講演会の報告を転載させていただきました。

 2013年5月22日、くらし学際研究所は神戸市勤労会館で、月例の公開講演会を開いた。講師は立命館アジア太平洋大学客員教授で、元ミャンマー大使の津守滋さん。演題は「ミャンマーの黎明―ミャンマーの政治経済情勢―」である。
 講演要旨を報告する前に、事前に配布された「ミャンマー連邦共和国(概況)」を記しておく。
 面積:68万K?(日本の約1.8倍)、人口:6,242万人、首都:ネーピードー、民族:ビルマ族(約70%)、その他少数民族、言語:ミャンマー語、宗教:仏教(90%)、キリスト教、回教等、名目GDP:約502億ドル(2011年度:IMF推計)、一人当たりGDP:832ドル(2011年度:IMF推計)、経済成長率:5.5%(2011年度:IMF推計)、物価上昇率:6.7%(2011年度:IMF推計)、失業率:約4.9%(2011年度:IMF推計)、在留邦人数:543人(2011年)。
 津守さんは冒頭、10年前ヤンゴン新華社の特派員1人がいただけであるが去年BBC今年4月からNHKの特派員も駐在するなどミャンマーの情報はガラスばりになった、と述べて講演に入った。以下は講演の大要である。

1.軍事政権より「民政」への移行
  ミャンマーは、1948年英国からの独立後約15年間、議会制民主主義をとってきたが、1962年3月のネ・ウインのクーデターによる軍事独裁体制に変わった。1988年9月の再度のクーデターにより、集団指導体制とはなったものの軍事政権(SLORC/SPDC)が1988年9月〜2011年3月まで続いた。この軍事政権は総選挙を公約して実施したにもかかわらず、1990年5月の総選挙でアウン・サン・スー・チーさんを党首とするNLDの圧倒的勝利を無視したことから見て、「形式的」にも正統性がない。また、バンコクよりもラングーンが繁栄するほど東南アジアでもトップクラスであった経済を、1962年のクーデター以降ネ・ウインが奈落の底に落とした。ネ・ウインは昭和天皇を神のごとく信奉、日本を一番信頼していた日本もODAをふんだんにつけてきた。しかし、その後の軍事政権も最貧国からの離脱もできず、実質的な国民経済を停滞させた。ただし、1995年ごろに、ほとんどの少数民族グループとの間で停戦合意し、社会の相対的安定をもたらした。
  軍政は、「民政移行」までの23年間を「暫定政権」ともいえる。2005年8月から2011年3月までの間に、「民主化への7項目のロードマップ」に基づき、「国民会議」の召集→憲法の制定→議会選挙→国会召集→大統領選出→「民政」への移管が行われた。この場合の「民政」はカッコつきの民政である。
 サイクロン・ナルギス襲来(死者・行方不明者14万人)直後の2008年5月に国民投票を強行して承認された憲法の本質は、国軍の政治への関与を保障するものである。この憲法によって、?国家緊急事態の際の国軍最高司令官による全権掌握(これは「合法化されたクーデター」)、①上下両院議員の4分の1の議席を軍人に留保(軍最高司令官が選任)、②国防相、内務相、国境相の軍最高司令官による任命など、国軍の政治への関与が保障されている。この憲法に基づく総選挙をNLDはボイコット。その結果、USDPが圧倒的勝利を得たが、これは「仕組まれた勝利」である。USDPと軍事枠議員によって上下両院とも80%の議席を占めている。NLDは2012年4月の補欠選挙に立候補し45議席中43議席を獲得した。

2.テイン・セイン政権の成立;軍政(SPDC)より「民政」へ
2011年3月、軍政を取り仕切ってきたテイン・セインが対抗馬との対比において、経験と資質:行政経験、国際性、クリーンなどの評価を得て大統領に選任された。2011年3月30日の大統領就任演説から「新しい風」が吹き始めた。演説において①憲法改正(ができるとの呼びかけ)、②国軍の役割を世界レベルの軍とする(政治に介入しない=中立、との表明はミャンマー国民にとっては革命的)、③その他(人権、NGO)等について「規律ある」との修飾語のない民主主義の保障など、「想定外」の改革の波を作り出している。50年ぶりの言論・出版の自由、アウン・サン・スー・チー女史との2011年8月の大統領会見と和解は改革政策の決定打である(この会談の中で、スー・チーさんへの選挙参加の呼びかけ、約束を取り付けたのではないか)。その後、2012年1月13日の主要政治犯の釈放や、権力の分立、政府対議会、与党対野党、国軍の役割などの改革が進められている。スー・チーさんが議会に入ったことで体制の「正統性」が実現した。
3.アウン・サン・スー・チーさんのスタンスについて
スー・チーさんは、父親が国軍の創設者であるという点で、 「軍と良い関係」が取れると考えているようであるが、ロヒンジャ・宗派対立問題、レパダウン銅鉱山問題など困難な立ち位置にある。2015年総選挙への対応についてもNLDが勝利するか、スー・チー大統領の可能性など予断はできない。今のままの憲法では改正しない限り、(外国人と結婚した)スー・チーさんは大統領になれない規定になっている。
4.英植民地時代の分割統治政策による「長年の宿痾」ともいうべき民族問題
停戦合意はしているものの真の和平(自治権要求)は解決していない。少数民族は2万〜3万人の軍を保持している。カチン問題は中国の関与もあり停戦合意未達成である。少数民族は独立を要求しているわけではない。
5.対外関係について
日本も含む各国の制裁の状況下で23年間中国の草刈り場ともいうべき状態にあり、中国への傾斜が大きい。その修正がミッソン・ダム問題など課題である。完成間近の石油・ガスパイプラインの設置など中国のプレゼンスは増大している。スー・チーさん自身が訪米で経済制裁解除を要望したのを受けて今後、ミャンマーという「将棋盤」の上での米中競争が激しくなるのではないか。2014年にはASEAN議長国に就任予定で国際社会への全面的復帰を目指している。
6.60年初めまで東南アジアのトップランナーであった経済を、現在の最貧国からASEANをリードする国への展望について
①十分な資金、②労働力、③法制整備、④自然資源、など市場経済定着への条件を確保しなければならない。現状は情報通信などのインフラもなく人材もない。しかし、民度が高く、勤勉。地政学上から見ても発展しないはずがない。ミャンマーは南アジアと東南アジアの結節点としてアジアの繁栄に貢献することができる。
7.日本との関係
2012年4月の野田・テイン・セイン会談により円借款の復活、対ミャンマーODAの基本方針(国民の生活向上支援、経済・社会を支える人材の能力向上や制度の整備支援、持続的経済成長のために必要なインフラや制度の整備支援)が確定され、テイン・セイン大統領の希望もあり、ティラワ経済特別区への日本企業の進出が進められている。
8.今後の課題
憲法の改正や議会制度の確立による「真の民主主義」の実現、②真の市場経済の復活(軍と経済の癒着した「クローニー経済」の払しょく、人的資源の最大限の活用)、③バランスのとれた対外関係(対中国依存寄りの脱却と多角的関係への積極的参加と活用=国連・ASEANの活用)が今後の課題である。
はっきりしていることは、ミャンマーの状況は国際社会の関心事であり、国際社会を味方につけて、23年間の「暫定政権」から「真の民主国家を目指す」(テイン・セイン)改革は後戻りできない。
(文責 事務局)