JL123便事故から29年目の日

 JAL争議団の神瀬様のFB投稿を下記にシェアさせていただきました。
明日12日はJL123便事故から29年目の日です。
 1985年8月12日、入社9年目で27歳だった私は、成田から台北に向かう飛行機に乗務していました。夕方台北に着き、羽田発伊丹行きのJAL便が行方不明になっていると聞きました。その時の胸のざわめきは、忘れることができません。
 あの事故のあと、絶対安全を誓ったJAL。しかし、今のJALが安全第一で経営しているとはとても思えません。
 2010年9月にJALが募った希望退職の対象は45歳以上の社員でした。10月になってもまだ退職に応じないでいた対象社員は「希望退職に応じなければ整理解雇する」と脅されながらの個人面接を2回受けました。
 その年45歳の社員は1985年には20歳でした。つまり123便を体験し、絶対安全に力を尽くしてきた社員は全員いなくなって欲しかったわけです。
ご遺族にとってはどんな思いの29年だったでしょうか。
 JALに安全第一の航空会社になって欲しいの気持ちを込めて、明日大阪空港でビラまきをします。このビラが、私の気持ちすべてを語っています。
☆8月12日大阪空港宣伝☆
11時半〜12時半
 集合は、大阪空港モノレール駅JALエスカレーターの下に11時半です。
 この思いに賛同してくださる方にご参加頂けると、嬉しいです。
以上、引用は昨日12日の投稿でした。