被災から20年が経ちました!(2)

車を降りてビルに近づくと、1階の喫茶店夫婦が呆然とビルをを見上げています。「はよ事務所見といで」の声に押されて、こわごわ4階の事務所まであがると、東側の営業所はドアから中が見え、すべてのものがひっくり返り滑り床に落ち、目も当てられぬ状態がすぐにみてとれました。
 ドアを力いっぱい押して中に入りました。何から手をつけたらいいか見当もつきません。片づけより、全体の状況をつかもうと、西側の事務室のドアをこじあけようと、渾身の力を込めましたが、ビクともしません。おそらくドアの内側に机などが倒れ込みバリケード状態だったのでしょう。
 仕方なく。踊り場の窓から窓伝いで西室の窓から入ろうと、決死!の覚悟で、足を踏み外せば4階から1階の歩道にたたきつけられるのは明らか…でも不思議と恐怖感はないのです。それに幸い西の部屋の窓の鍵がかかってなかったので、何とか入り込む。こちらは、営業所どころでなく、部屋の床が全く見えないほど、机、椅子、ロッカー、パソコン、プリンターが「暴れ回ってる」状況。
 ともかく一人ではいかんともしがたいので、とりあえず、顧客の予約データファイルなどの大事なものだけを優先的に探し出し、車に保管し、郵便受けに「業務は当分休業、追って指示」なんてことのメモを貼るだけでした。
 余震を恐れながら階段を下りてビルを出て、元町駅の公衆電話から京阪営業所に状況を報告しようとするも長蛇の列。やっと、京阪につながり無事に出勤できていた4人の社員に本社の状況を伝え、本社の14人の社員の状況把握を依頼、事務所は無事だが当分、国ツーの事務機能を京阪営業所に移転することを、取引先にファックスで知らせることなどを頼んでとりあえず一息。
 付近の状況も見てみようと、車をおいて歩いて元町から三宮、山手通り、県庁などを回る。市役所の途中階が崩れ落ち、三宮北側の立派なビルも跡形もないほど、加納町のホテル北上も崩壊、山手通りを西に向かって眺めると、なんと左右のビル並みが道路側にほとんど傾いています。
 1時間も歩いただけで地震の猛威をホントに恐ろしく感じた次第です。会社近くの小さな建物も全壊し、人々が集まってこの下に人が埋まってるんやと必死での作業中でした。
 会社前の道路から西を眺めると赤黒い煙の中にハッキリと炎が上がっています。大変なことが起きたんだとの思いを胸に、この日は事務所を引き上げ往路の倍以上の7時間くらいかけて自宅にかえりつきました。(T.MATSUOKA)