“まけねえぞ 東北”

KokusaiTourist2015-06-28

“負けねえぞ 東北!” −その1
 西宮の7名のグループが、先日東北被災地を巡る4日間の旅をされました。【東北被災地の旅(2015/05/24〜27)見聞録】と題する紀行文と写真を寄せていただきましたので、下記にその行程とともに紹介致します。
  東北四日間の旅(豆柄、山口、砂川、佐藤、佐藤、岡沢、岡沢)


1日目 伊丹空港仙台空港―仙台駅―(東北新幹線)二戸−(バス)久慈―(三陸鉄道北リアス線宮古≪泊≫

2日目  宮古(レンタカー)−田老町―釜石、大船渡、−気仙沼(つがとよ酒店)−石巻(大川小学校)−石巻≪泊≫

3日目  石巻女川原発付近−(常磐道山口さん仙台空港へ)ー小高市(島尾さん)−原発被災地視察―阿武隈高原花の湯)

4日目  花の湯温泉―三春桜―蓮笑庵―レストランー福島空港―伊丹空港



東北被災地の旅(2015/05/24〜27)見聞録      
1,はじめに(豆柄)
 今年のコスモス新年会の後、班委員3人で今後の班活動について話しているとき、被災地に行こうという話が委員の一人から出た。「そうだ!義援金は送ったが、私達にはわずかなお金はあるが、スコップを持つ体力はまるでない。被災地にお金を落とすことが支援なんだ。」と計画に取りかかった。
 同期退職仲間に声をかけ、7人で行くことになった。(男性が2人参加し、レンタカーの利用が可能になり、行動範囲が大幅に広がった。)
 遠くて簡単には行ける所ではないので、私達の見た今の被災地の様子を、コスモスの皆にもお伝えしようと、分担してレポートを書くことになった。
2,「よくおであってけあんした。まんずゆっくりしてってけあんせ。」(1日目・岡沢正男)
 私が今回の旅行に参加しようと思った動機は、妻に「女性仲間で東北旅行に行くよ。」と聞いたことだった。つまり、「妻が三陸鉄道に乗れば、まず私が単独で東北旅行することは考えられず、三陸鉄道に乗るチャンスがなくなる。」と危機感を感じたので、「自分も行く。」と申し出たのである。
 なぜ三陸鉄道なのか?それはNHKの朝ドラ「あまちゃん」の影響もあるが、ニュース等で三陸鉄道の破壊の現実、惨状を見たり、復旧の頑張りを見ていたりしていたからである。ずっと「行ってみたい、乗ってみたい。」と思っていたのである。
 5月24日
 伊丹空港仙台空港東北新幹線二戸へ、そこからバスで久慈駅へ。直線にして約1000?以上を一気に旅したことになる。
 いよいよ久慈から宮古への三陸鉄道の旅。一行7名久慈駅で写真を撮ったり(集合写真、コスプレ)饅頭を食べたりして、ワクワクしながら出発を待った。

 一車両の三陸鉄道は、経営の心配もなく、ほぼ満席の状態でスタート。私達の他には大阪からのツアー客、地元のテニスクラブの高校生や女子学生などだった。平日ならば、もっと生活l感のある乗車風景が見られたのかもしれない。

(なんてかわいい。まるであまちゃん!・・・○注正男さんのコメンではありません。)
 スタートしてからはすぐ海岸ではなく、山を抜けていった。5月の新緑が目に映え、関西とはほぼ一ヶ月遅れの花々が、目を和ませてくれた。時々見える入江、橋梁、なんと30メーターの高さの橋を越えて津波が押し寄せてきたとのこと。想像を絶するとはこのことである。
 三陸鉄道北リアス線」は、そのほとんどが山間部とトンネルを走り、ときどき入江を垣間見ることができる。入江の木々の緑は震災当時の面影はなく、よみがえっている。その強さを感じるとともに、人びとの強さも合わせて感じた。
 三陸鉄道に乗ることを最大のテーマで今回の旅行に参加した私だったが大きな誤算があった。テレビの「あまちゃん」よろしく三陸の海岸沿いをゆっくり走ると思いきやそのほとんどを山間部とトンネルを走るということだ。「あまちゃん」のように平地や入江の近くを走るということが少なかったのである。私の思いとはかなりかけ離れていた。.
 明日は平地をレンタカーで走る。私は、南三陸町にボランティアで来たことがあるが、それ以後の震災の現状を実際をこの目で確かめたいと思う。機会があれば、是非南リアス線に乗ってみたいと思った。