“まけねえぞ 東北”

“負けねえぞ 東北!” −その最終回
 西宮の7名のグループが、先日東北被災地を巡る4日間の旅をされました。【東北被災地の旅(2015/05/24〜27)見聞録】と題する紀行文と写真を寄せていただきましたので、下記にその行程とともに紹介致します。
 終わりに・・・・・この旅行に参加して(岡沢正男)
  私の今回の旅行に参加しての印象は非常に気が重く、決して「楽しい」旅行でなかったということである。しかし、何かとても大切なものを得たような感じがして帰ってきた。
 
 今回の旅行を企画してくださった方々、旅行会社の小川さん、温かく迎えてくださった現地の方々に心から感謝したいと思う。 
 まず今回の旅行は、山口さんには申し訳ないが、四日間でその目的を完結するというものだった。地震津波放射能汚染の現実を見たということだった。
 今回は、5名の方々のお話を聞く機会を得た。田老町の元民宿経営者、「すがとよ酒店」のおかみさん、小高の島尾さん、蓮笑庵の渡辺俊明さんの奥さんそして洋食レストランのマスター。
 
 この方々に共通しているのは後ろを見つつも前へ進もうとしていることである。そこに強さと頼もしさを感じた。しかし、この方々はほとんどが後継者とともに前を見据えているのである。逆に言えば今回は出会えなかったけれど後継者のいない商店主の無念さもしみじみと感じ取れた。
 私たちが二日目に見たのは、延々と続くその景色に疲れ果てた三陸海岸のかさ上げ工事、道路にはダンプの行列、山を切り開き土砂を海岸へ運ぶ光景だった。
  私がボランティアで行った南三陸町は山から海岸までがれきが撤去され、だだっ広く災害の跡が残る町だった。そこにあの防災センターがぽつんと立っていた。しかし、今回行った南三陸町はかさ上げされ、その高さで前方が見えなくなっていた。
 
 果たしてこのかさ上げ工事が完成した後、ここに戻ってこられる人はどれだけいるのだろうか。「この工事こそゼネコンのためにやっているのでは?」と疑ってしまった。
 安倍首相の「放射能は完全にコントロールされている。」というあきれた発言で東京オリンピックの誘致に弾みがついた。しかし、そのおかげで東北の現地は資材不足、資材高騰と人手不足にあえいでいる。「本当に、東京オリンピックは今でないといけなかったのか。」東北の被災地に来て改めて強く思った。
 「すがとよ」さん、洋食店のマスターなどの話を聞いても「店」の復興は遅れているし町の復興に展望が見出されていないことを感じられた。それなのにかさ上げ工事だけは進んでいるのが現状だった。
  地震津波、東北の今回の災害の苦悩は阪神淡路大震災を経験した私たち以上のものであると肌で感じた。その上に放射能汚染である。洋食店のマスター曰く「地震津波も大丈夫だった私たちに放射能が襲いかかってきた。」と。

 商店街の会長をされているマスターの自宅は20km圏内で補償の対象に、しかし店は20mの違いで補償の対象外にされた。そのことで店の再開に悪戦苦闘する羽目に。それよりも補償の差で町の人々の心に大きな亀裂が入り復興の妨げの大きな要因になっている。「商店街には工業部と商業部があり、工業部は除染などの受注で潤っているけれども商業部はまだまだ。」というマスターの言葉は東北地方全体の悩みであると思った。
  かさ上げ工事の景色に疲れた私たちは、放射能に汚染された町、荒れ野と化した農地の延々と続く景色にさらに追い打ちをかけられるような疲れに襲われてしまった。
  そんな中で、最終日「くらしの学校」とやらで「今更何の勉強?」「レポートはあるの?」とびくびくしながら訪れた蓮笑庵で格別の学習をすることができた。蓮笑庵の主である画家、故渡辺俊明さんのアトリエの、自然になじんだたたずまいには感動することしきりだった。渡辺さんの自然とともにあるがまま生き、作品を作る姿の展示に魅入ってしまった。生と死の隔たりを超えた作風に接し、なぜか殺伐とした被災地を見てきた私たちの心が和んだ。
さらに渡辺さんの奥さんたちが、自然を大切にしながら土地に根差した復興をしていくその思いにも心を動かされた。「ボランティアなどで応援に来てくださるのはとてもありがたいことです。みなさんのように現地に来て応援してくださる方々が増えることもとてもありがたいことです。」と言われたことにも感じるものがあった。
  
 私は、今回の旅行の「語り部」として友人、知人に東北の現状を私なりの言葉で伝えるようにしている。私の話を聞いてくれた人が東北に足を運んでくれれば嬉しいから。
  今回の旅行で私は、田老町や大川小学校の現地に立ち「なぜ?なんで?」と思い、窮地に立たされた状況に自分を置いてみた。堤防が津波を防いでくれると思い、その堤防が津波の襲来を見えなくしていた中でどう判断できたか、津波の襲来が今までになく、近くに裏山があるけれどより多くの子ともたちを安全に避難させるにはどういう行動がとれたか?
 自然の巨大な力の前で私たちは無力だけれど、先人の教えと今回の災害の教訓をしっかり捉えていく必要があると思った。
  そして、災害のその現場に行って感じ取ることの大切さとともに今回現地の方々の話を聞けたことに大きな意味があったと思った。