JAL123便墜落事故30年の日に思う

 あの航空史上最大規模の520人もの犠牲者を出した御巣鷹山墜落事故から30年が経過した。事故のあと、JALは絶対安全を誓い、当時の運輸省(現国交省)も同様に安全第一の運輸行政を確認したはずだ。
 しかし、いまやその誓いも確認もどこへやら、“新規参入、運賃の規制緩和”を進める航空行政の下で、航空各社は、利益第一のシェア拡大競争に走り「利益あっての安全」などの暴言すら吐くまでになっている。とりわけ、安全運航に欠かせない内部チェックで重要な役割を果たす労組敵視、ベテラン機長や乗務員の解雇を強行したJALの横暴は30年前の誓いとは真逆のもので許すことはできない。また低価格を売り物にするLCCの登場でさらに航空業界全体の安全性が低下していると言わざるを得ない。
 こういう価格競争自由の公共交通政策は利用者の安全をどこに導いていくのか。大事故が起きてから、問題点が指摘される。マスコミも行政、企業を批判する。 そしていつしかそれも忘れ去られて、またまた、利用者の選択肢の拡大、経済の活性化という社会的ニーズなるものが金科玉条の如くに前面に出てきて安全第一と利用者の本当のニーズが建前だけで後ろに追いやられていく。この30年の変遷はそのことを証明している。
 最近も重大事故には至らないまでも、重大インシデントなど事故が多発している。これを“予兆”として過去の教訓に学ぶべきだ。航空機事故は確率的には低いからといって、安全第一、競争抑制を柱にした行政施策、企業経営を社会的要請として確立していかねばならない。ひとたび重大な航空機事故が起きてしまうと尊い犠牲者はもちろん失う社会的損失はどれほどのものか、冷静に想像力を持たなければと思う。  
 利用者も、その時々の個人のメリットより社会的長期的なメリットも視野に入れなければならない。今やスタートした当時の自立的なLCCではなく、いずれもJALANAなど大手航空会社の傘下。利用者の低価格のニーズの“救世主”などではなく、大手の経営の調整弁の役割を担わされている。利用者も自分と社会の本当の満足とは何かとの視点から溢れるほどの情報に目をむけ事業者の姿勢にきびしい対応することも求められている。
 殆どのメディアは、この特別な日前後に、JAL123便事故の特集をした。ただただ過去のこととして振り返るだけでなく、当時の教訓に照らして、現在の航空業界のあり方を批判的に検証するスタンスでの報道が必要ではないだろうか。(T.MATSUOKA)