中国北京と河北省戦跡を訪れる旅−2の1 

  宋 敏 
 7月16日から7月20日まで、私が企画した第二回目戦跡ツアー、戦後70年特別企画として、「北京と河北省戦跡を訪ねる旅」に行ってきた。
 北京は、中華人民共和国の首都であり、中国政治、文化、対外往来の中心であり、六王朝の古都のひとつでもある。また、歴史が長く、さまざまな優れた景観があり、古代の宮殿、王室の庭園、寺廟などの名所旧跡と風景の美しい自然景観も沢山ある。2008年オリンピックの開催地として、北京の知名度はさらに高くなり、中国人観光客を中心に、また外国の観光客にも根強い人気がある。
 河北省は華北平原の中心部に位置し、北京と天津の二市を囲み、省都は石家庄市で、総面積は約19万平方キロ(これは日本の総面積の約1/2)、人口は7032万人余りだ。
1日目 7月16日(木) 
 関西空港より全日空979便で北京へ。台風の影響で約1時間遅れて出発したが、無事に北京に到着。
 到着後、今回の‘戦跡を訪ねる旅‘の初めの訪問地に専用車にて北京郊外の戦争遺跡 「焦庄(荘)戸地道戦遺跡」 を訪ねた。ここは抗日戦争や国共内戦の際に、地元の農民たちが自分たちを守るために地下壕を掘り、「敵陣」を迎えうった場所である。
 村と村、家と家を繋がっている地下壕(地下長城)の全長は、約23キロ。 地下道に入ると、地下への急な階段をそろりそろりと急にひんやりとした空気と、かびの匂いに包まれた。 高さは約1.8メートル、幅は一人が通り抜けるのが精一杯だ。迷路のように、縦横にはりめぐらされた地下壕である。もともとあったサツマイモの地下貯蔵庫からヒントを得て、それをつないでトンネル式の通路にしたのだという。
 

防水、防毒の効果のあった 凹凸型の道、地下会議室、オンドル (北方の暖房設備) や井戸に設けられた隠れ出入り口、大型石うすのうす台に隠されたのぞき窓や射撃口など、いたるところに戦闘の工夫が凝らされている。

 見学の後、約4時間をかけて河北省の保定市にある夕食会場に到着、“河北料理”を堪能した後、ホテルにチェックインして、一日無事に終了!


2日目 7月17日(金)
 朝食後、保定市清宛県冉庄鎮にある「冉庄地下トンネル」、「冉荘地道戦記念館」へ。
 ここは中国人民の抗日戦争のひとつ重要な戦跡であり、中国青少年教育基地でもある。冉庄地下トンネルは横0.7〜0.8m、高さは約1〜1.5m、十字街を中心として、村と村、家と家を繋がって、地下トンネルの全長は16キロである。地下道内には指揮部、休憩室、食料品の貯蓄室などが配置されている。
 この冉荘地道戦記念館は、中国青少年の教育基地でもあり、中国河北省の大学生たちと出会いトンネルや記念館など見学の後、私が通訳しながら大学生たちと交流した。大学生たちも、日本のお客さんも質問などお互いにまだまだあったが、時間の関係で冉荘地道戦記念館を後にして、昼食会場へ移動した。


 午後、日本の三光作戦(殺し尽くす、奪い尽くす、焼き尽くす)で毒ガスによる虐殺があった「北坦村」を訪問した。「北坦村」に到着後、館長をはじめ、テレビ局、村の共産党員書記、住民たちが迎えてくれました。そして、記念碑、記念館を見学し、1名の生存者の証言を聞きながら、胸がいっぱいなりました。また、身振り手振りの住民たちがお客様たちと一生懸命話している姿を見ると言葉が通じなくても、心通じていると改めて思いました。限られた時間を惜しみながら館長や住民たちと手を振りながら北坦村を後にして、北京へ向かった。
 北京に到着後(約4時間半)、早速夕食会場へ。夕食は北京料理を堪能した後、ホテルにチェックインして、2日目無事終了した。
3日目 7月18日(土)
午前中、北京郊外にある「蘆溝橋」と「抗日戦争記念館」へ。 

 「蘆溝橋」は北京南西20?の豊台区を流れる永定河にかかる石橋で1192年に作られた全長266.5m幅7.5m。橋桁は11の弓形アーチで構成され、欄干の上にはそれぞれ異なる姿と大きさの石造りの獅子が501体並んでいる。1937年7月7日に盧溝橋で起きた日本軍と中国国民革命軍第二十九軍との衝突事件は「蘆溝橋事変」という。(七七事変ともいう。)
 蘆溝橋を見学の後、徒歩で「抗日戦争記念館」へ。

今年は中国が抗日戦争勝利70年のため、記念館もリニューアルされた。しかし、記念館は元々展示物に日本語の表記があったが、今年は中国語と英語の表記しかない。とても残念だと思う。中国語の表記はなんとなく分かるかもしれないが、大変だ。

 抗日戦争記念館を見学後、午後から戦跡ではなく観光に。しかし、ここからトラブルばかりだ。まず、抗日戦争記念館の集合場所では、一人が間違って別の場所に待っていた。何とか見つかってよかった。
 午後、北京の頤和園へ。頤和園の面積は290万?、北京最大の皇家園林であり、1998年世界遺産に登録された。広大な頤和園は5つのエリアに区分され、ゆっくり見て回ったら一日でもとても足りない。

 短い時間で頤和園の魅力を楽しみたいので、湖岸に作られた728mの長廊を歩いてから、遊覧船でのんびり楽しむことになった。入場する前に皆様に、「私たちの遊覧コースを説明、そして「頤和園の一日入場者数5、6万人で、すごく混んでおりグループから絶対はぐれない様に、写真など撮るとき必ず声をかけてください。お願いいたします。」と案内したが、頤和園を見学の途中、一人が行方不明になってしまった。
 お客様は財布と携帯のみ持っていたが、行程表などすべてバスの中に於いていた。つまり、自分が泊まっているホテルさえわからないかも。もしかして、倒れたかもなどなど・・・・色々と考えると怖くなってきた。添乗員として初めての経験ですが、冷静な判断が必要と考え、まず、他のお客様に迷惑かけないように、同行のガイドが行程通りに案内し、私は頤和園で人捜しの放送をしたり、探したり、ホテルに電話したりなどしたが、夕方までまだ見つからなかった。
 警察に通報して、警察も協力して探してもらうように。そして、私はとりあえずホテルに戻り、ホテルに戻ったかもしれないと思い、帰ったら、行方不明のお客様が無事に戻っていて、兎に角無事でなによりでした。やれやれ、一安心!
夕食の食欲もでずに、大変な一日でしたが、いい経験だった!!