田中優子の江戸から見ると自由を生き抜く実践知

毎日新聞2016年4月6日 東京夕刊
 江戸時代の作家、上田秋成の「雨月物語」に「夢応の鯉魚」という一編がある。「自由」を書いた傑作である。ある僧侶が夢でコイに変身し琵琶湖を泳ぎまわるのだが、そのシーンが五七調の名文で、「そう、自由とはこういうもの!」と膝を打つような文章なのである。
 このコイはやがておなかがすく。食べ物を探し回ったあげく、釣り針にひっかかり、まな板にのせられて切られる寸前、僧は夢から覚める。しかしそれは夢ではなかった。実際に寺の厨房(ちゅうぼう)では、コイが切られる寸前だったのである。  私たちは自由主義社会に暮らしている。しかし真に自由なのだろうか? 衣食住をまかなうために、時間に縛られてなんとかかんとか生きているのが現実だ。いかなる社会であろうと、生き物にとって「食べていく」ことと「まったき自由」とは相いれないことを、この一編は語っているのである。
 しかし、だからこそ人間は生を保ちながらも、自由を生き抜く決断をしなければならない。コイは飢えに耐えられなくなり、「まさか捕らわれることはないだろう」と冷静な判断を失って釣られた。このとき、いかにすれば人の仕掛けるわなにはまらず食べ物を確保できるかは、ひとつの知恵である。人間であればそれは、状況判断と価値観(知性)に基づく現場での対応(実践)ということになる。
 衣食住のみならず報道や表現の自由も生き抜かねばならない。テロの頻発する今日、自由に価値を置く欧州の人々でさえ非常事態宣言下を生きている。国家は自由の制限によって安全を確保するしかない。その意味で「週刊金曜日」3月25日号のバンクシー特集は実に面白かった。バンクシーはゲリラ的に路上に作品を残してゆく覆面アーティスト。知性とスピードとユーモアによって、表現の自由を生き抜く方法がそこにはある。
 法政大学は今年度から「自由を生き抜く実践知」の獲得を大学の「約束」とした。(法政大総長)