50周年記念誌“PRIDE”より

KokusaiTourist2008-01-17

阪神・淡路大震災を社員が一丸となり乗り越え、再生を果たした軌跡
 その2 被災に立ち向かって


〔役職者会議〕
 震災から7日目の1月23日、西宮の松岡の家で小川、森本、長崎真人、桝本が集結し役職者会議、当面の対応を協議する。1.社員の被災状況確認 2.社員の待遇および給与問題 3.神戸の旅行市場の判断 4.得意先への訪問活動による支援申し出と「引き続き頑張る」との当社の意思表示の表明 5.緊急企画「被災者リフレッシュ企画/無料での温泉入浴ツアー」 6.当面の営業態勢 などを相談し、明くる24日、地震後初めて全社員が顔を合わすことになった


〔社員の被災は…〕
 6000人以上の犠牲者を出した大震災であったが、幸いにも社員とその家族に大きなケガはなかった。しかし、ほとんどの社員の自宅では、激しい揺れで食器が割れたり、壁にヒビ・亀裂が入ったり、電気・ガス・水道が不通になったりした。
小川のマンションは一部損壊で事実上住めない状態、七條のマンションも半壊状態で自宅部分もかなりの損傷を受けており、近くの小学校で家族全員が避難生活。
また、残念にも相原恵のいとこさんが死亡するという痛ましい被害も…。長崎の実家では両親が自宅倒壊により下敷きになったが自力で脱出できて大事には至らなかった。


〔主な旅行会社の被災状況調査〕
 社員で手分けして主に神戸市内の同業者の状況を調査してまわった。三宮、元町地区では、阪急交通社、MOツーリスト、日本旅行近畿日本ツーリスト神戸新聞旅行社、阪神航空、東急観光などほとんどの業者が半壊など入居ビルの被害により営業見込が立たず、周辺にある他の営業所に仮移転を余儀なくされた。東灘のコープ観光は入居ビルが全焼した。


〔すべてキャンセルに〕
 顧客先への訪問や電話連絡を行うなかで、受注していた団体および個人の予約はすべて取消しとなっていった。さらに、被災地はもちろん、旅行自粛が近畿から西日本、全国にまで拡がり、業界に大きな影響を及ぼした。当社においても、1、2月はまったく仕事がなく収入ゼロに、その後も全く見通しは立たなかった。


〔2月1日「ガンバレ神戸号」第1号走る〕
 被災後、水・ガス・電気が利用できなかったことで、被災者の入浴したいという思いは切実であった。神戸の旅行業者として被災者の役にたつ企画をしようと、参加費無料の日帰り温泉入浴ツアーバス「ガンバレ神戸号」を走らせる計画を立てた。バス会社や旅館の協力で、特別な料金で引き受けてもらうことができたが、資金の目処はなく、その「必要性」からの見切り発車であった。
住吉駅までJRが開通していた2月中旬、新日本婦人の会中央本部の井上美代会長(当時)の来神を車で迎えた松岡は、被災地の案内の車中で「ガンバレ神戸号」の想いをアピール、会長から絶大な支援の表明を聞き、この企画の持つ大きな意味を噛みしめた。
その後もさまざまな団体の協力で、2月1日の第一回目バス2台運行を皮切りに、計26台運行することができた。

(続く)