50周年記念誌“PRIDE”より

KokusaiTourist2008-01-19

阪神・淡路大震災を社員が一丸となり乗り越え、再生を果たした軌跡   その4 ユニークなボランティアにも献身



〔映画「男はつらいよ」のロケ誘致〕
 国ツーも参加していた「長田街づくり懇談会」で、“山田洋次監督の映画「男はつらいよ」を神戸に”という情報があった。
震災復旧に立ち向かっていた5月のある晩、缶ビールで盛り上がっていた七条、富田、堤、桝本、松岡の面々が、勝手連「寅にイッチョかもう会」を結成した。
映画の粗ストーリーを作り、明石を訪れた山田監督に七條が“直訴”。全国を旅する寅さんと、旅を仕事とする国ツーの接点をアピール。差し出した勝手連自作の粗ストーリーにじっと見入る山田監督…。
監督は「今回は既に構想とロケ先は決まっているので、本編を神戸でというのは無理。しかし、ワンカット、例えば仮設住宅フラリと訪れる寅などの工夫は今からでも出来るし、何らかの形で神戸の震災は記録したい。」との言葉をいただき七条は大感激
「長田街づくり懇談会」は、9月に「寅さんを迎える会」実行委員会を立ち上げ、当社も参加、ニュースを発行するなど事務局を引き受けた。10月には長田でのロケ撮影が行われ、正月に「男はつらいよ 寅次郎 紅の花」が上映された。

(写真はHP:http://www.shochiku.co.jp/web-event/atsumi/より)


〔京都たこあげ大会〕
 「ようこそ、神戸の子どもたち 京都こども手作り・たこあげ大会」が3月19日、京都市西京区の嵐山東運動公園で催された。
阪神大震災の被災者を招待したこの企画は、学童保育などでつくる実行委員会と国際ツーリストビューロー京都営業所などが協力して実現。
被災地・神戸などから84人の親子がバス二台で参加。京都大原の民宿に分宿し京都ライオンズクラブからのケーキの差し入れや、久しぶりの入浴などでくつろいだ一夜をすごし、嵐山運動公園で、たこあげ、模擬店などで京都の学童と交流した。
避難所生活や後片付けなどで、子どもの世話にまでなかなか手がまわらないなかで参加者は、「久しぶりに元気な子どもたちの姿を見ました」と感謝の気持ちを語った


〔社員は地域のボランティアに奮闘〕
 被災地神戸には全国からたくさんのボランティアが集まり「ボランティア元年」という言葉まで生まれていた。
4月1日の本格的営業再開までの間、各社員は、得意先の復旧活動の応援やボランティア活動に参加した。七條は、全労連と兵庫労連共同で開設した「全労連・働く者の110番」の専任スタッフとして、約2ヶ月間、被災労働者のさまざまな相談に応じる活動に参加した。


雇用調整助成金(雇調金)制度の活用〕
 元々は、事業の縮小の必要性が生じた企業で(従業員を解雇するのではなく)休業を実施することにより雇用を継続しようとする企業への助成金を交付する制度で、被災地労働者の雇用を支援する目的にも活用できるよう運用条件が緩和され、給付期間延長なども特例措置で実施された。
この制度を利用し賃金を60%水準まで引き下げての復興に、分会は、「生活の基盤である職場を守り一人の解雇者も出さない。賃金を引き下げてでも復興をめざして頑張る」との方針で合意。震災による市場の消滅により、収入が途絶えたなかで、この雇調金の受給は、国ツーの復興に大きな支えであった。


〔映画「エイジアンブルー」のロケ参加〕
 京都出張所との共同事務所にあった「平安建都1200年映画を作る会」は、戦後50年を問う企画として「エイジアン・ブルー(浮島丸サコン)」の映画制作をすすめていた。
国ツーも、ロケ隊の宿泊・弁当などを手配し、また、芝田志保がエキストラ役で出演するなど微力ながら協力した。映画作りに一部分とはいえ参画することは、国ツーとしても貴重な体験となった。

(続く)