ウエコ−さん逝く
上田耕一郎さんが亡くなった。マスコミは理論派で庶民派と書いた。そのとおりだと思う。1973年、民主連合政府綱領案はウエコーさんの長大演説によって初めて提起された。60年代の高度成長のひずみが、70年代初頭から日本列島を覆い始め各地に革新自治体が生まれていた。それを背景に国政でも革新の議席がさらに力を得て国民の立場に立った政治の実現が待望された。
そんな時に「70年代の遅くない時期に民主連合政府を!」の呼びかけは、各分野でのたたかう人々の心をしっかりとらえた。社会に出て3年、労働組合運動に精をだしていた私もその一人。どこで手に入れたかウエコーさんの提案の何本ものテープをダビングして学習したことを思い出す。理論的な枠組みはもちろんウエコーさんの何という歯切れのよい演説かと聞き惚れた。街頭演説などでお目にかかるくらいで、直接の面識などあるはずのないお方。
それから30年ほど後の、2002年頃だったか、都内のとある懇親会の席で知人から紹介されご挨拶させていただいた。その時はほろ酔い(失礼)のご様子で長身を折り曲げるように独特の口調でお話ししていただいた。印象はまさに庶民的な方だなと。
昨今の日本のみならず世界の変化をみるにつけ、実際の政治はジクザクの道をすすみながらも、35年前のウエコーさんの提起の方向に大きく舵を切ろうとしているのではないか。私たちが的確な意志表示をくだせる日を目前に旅だたれるとは…も少し長生きしていただきたかった。
“迫力で説きし政権ちからだし引き寄せるいまウエコーさん逝く”
合掌 (T.MATSUOKA)(写真はしんぶん赤旗より)