大震災17年風化させないために…!

そして3・11復興のために…!
ほんものの“絆”を!

  未曾有と言われた1・17とは異質の大災害となった3・11の復旧・復興が未だ遅々としてすすまない今、私たち自身の体験を改めて思い起こし、私たちに今何が求められているのか!
   “絆”が年末に“今年のことば”に選ばれ、私たちの誰もが「そうだ、その通りだ、やっぱり…」と肯いたものでした。それは、3・11以降、その言葉通りの動きが強まったのも事実でした。多くの人が社会での“絆”の大切さを実感しています。
 しかし、震災の数年前、新自由主義と利益第一主義、市場原理の下で、失業と貧困の増大、格差の拡大、社会保障の崩壊、環境破壊等々、日本社会が出口の見えない重苦しい閉塞状況が続いていました。そこで強調されたのは社会的連帯の大切さでその力で閉塞状況を打ち破ろうということでした。そこに勃発した大地震と、おこるべくしておきた人災とも言うべき原発大災害です。
 復旧活動・復興が被災地の現状と被災者の気持ちに寄り添ったものでなければなりません。また、莫大な財源も必要ですが、被災者をはじめ社会的弱者を含む一律消費増税でなく、民間資金の活用を含む応能負担の原則で税収増を図るとともに、不要不急の予算の削減に本気で取り組むことが求められています。
 原発神話は崩壊したのに、「原発利益共同体」によってまたぞろ新たな神話が創られ始めています。海外に輸出する話まで進んでいます。
 こんな時、私たちに求められているのは、政権の“逆行”を許さないと同時に、“復興特需”“成長期待”などでなく、これまでの日本社会のあり方、私たちの生き方をも根本的に見直す“とき、ところ”にいることを自覚することではないでしょうか。“絆”という言葉の“氾濫と商品化”でなく、社会的連帯、“ほんものの絆”こそをもっともっと強めることではないでしょうか。

 50周年記念誌“PRIDE”より(2007年発行)
阪神・淡路大震災を社員が一丸となり乗り越え、再生を果たした軌跡
 被災に立ち向かって

〔役職者会議〕
 震災から7日目の1月23日、西宮の松岡の家で小川、森本、長崎真人、桝本が集結し役職者会議、当面の対応を協議する。1.社員の被災状況確認 2.社員の待遇および給与問題 3.神戸の旅行市場の判断 4.得意先への訪問活動による支援申し出と「引き続き頑張る」との当社の意思表示の表明 5.緊急企画「被災者リフレッシュ企画/無料での温泉入浴ツアー」 6.当面の営業態勢 などを相談し、明くる24日、地震後初めて全社員が顔を合わすことになった


〔社員の被災は…〕
 6000人以上の犠牲者を出した大震災であったが、幸いにも社員とその家族に大きなケガはなかった。しかし、ほとんどの社員の自宅では、激しい揺れで食器が割れたり、壁にヒビ・亀裂が入ったり、電気・ガス・水道が不通になったりした。
小川のマンションは一部損壊で事実上住めない状態、七條のマンションも半壊状態で自宅部分もかなりの損傷を受けており、近くの小学校で家族全員が避難生活。
また、残念にも相原恵のいとこさんが死亡するという痛ましい被害も…。長崎の実家では両親が自宅倒壊により下敷きになったが自力で脱出できて大事には至らなかった。

〔すべてキャンセルに〕
 顧客先への訪問や電話連絡を行うなかで、受注していた団体および個人の予約はすべて取消しとなっていった。さらに、被災地はもちろん、旅行自粛が近畿から西日本、全国にまで拡がり、業界に大きな影響を及ぼした。当社においても、1、2月はまったく仕事がなく収入ゼロに、その後も全く見通しは立たなかった。


〔2月1日「ガンバレ神戸号」第1号走る〕
 被災後、水・ガス・電気が利用できなかったことで、被災者の入浴したいという思いは切実であった。神戸の旅行業者として被災者の役にたつ企画をしようと、参加費無料の日帰り温泉入浴ツアーバス「ガンバレ神戸号」を走らせる計画を立てた。バス会社や旅館の協力で、特別な料金で引き受けてもらうことができたが、資金の目処はなく、その「必要性」からの見切り発車であった。
住吉駅までJRが開通していた2月中旬、新日本婦人の会中央本部の井上美代会長(当時)の来神を車で迎えた松岡は、被災地の案内の車中で「ガンバレ神戸号」の想いをアピール、会長から絶大な支援の表明を聞き、この企画の持つ大きな意味を噛みしめた。
その後もさまざまな団体の協力で、2月1日の第一回目バス2台運行を皮切りに、計26台運行することができた。


ベッドの上 揺れを凌いだ 数分間 階下の惨状 昨日のごとし


生きるため 見知らぬ心も 通わせて よくも堪えたり 被災の各地


支えられ 守り通せた 我が職場 学んだ仕事 社会に返そう


半世紀超ゆ 職場のあゆみ 震災が 画期となりて 労協に深化す
(2010年1月17日詠む 再掲T.MATSUOKA)